2022.2.6

「信望愛主」

テーマ「キリストは罪を犯さず」

聖書 第一 ペテロ 2章18〜25節

 

ペテロ第一の手紙第二章は、迫害の中で苦しむ信徒たちにいかに生きるべきかを指し示しています。前回はどんな攻撃をする人に対しても愛を持って接しなさい。神の僕にふさわしく接しなさいと語りました。

今日はどんなに悪い主人であっても、奴隷であり、クリスチャンであるあなたは、どこまでも忍耐して誠実に仕えなさいと語ります(宣教論的忍耐)。 なぜなら私たちの模範は、屈辱と苦しみを忍んだイエス・キリストだからなのです。 

しかし現実問題として、私たちには奴隷制度はありませんし、それほど屈辱的な立場に置かされる事は多くないと思います。しかし実際生活の中で不平や不満を抱く事は誰しもあることです。今の生活環境を変更することができず、忍耐を強いられることがあります。キリスト者の生き方はここで問われるのですね。

 

「僕たるものよ、心からの畏れを持って、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにではなく、気難しい主人にもそうしなさい」。(2: 18)

「善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。あなた方は、実にそうするようにと召されたのである。」(2: 20、21)

「キリストも、あなた方のために苦しみを受け、御足の後を踏み従うようにと、模範を残されたのである」(2: 21)

 

[キリストの模範] (2: 22-24、イザヤ書53章より引用)

①キリストは罪を犯さず

②その口に偽りがない

③ののしられて罵り返さず

④苦しめられても脅かすことをせず

⑤神に一切をゆだねていた

⑥十字架上で私たちの罪を負われた

⑦私たちはその傷によって癒された

 

クリスチャンは現実生活の苦難の中にあって、いつも十字架のイエス・キリストを見上げる人たちです。虚しいと思うほどの長い時間も、必ず祈りに答えてくださる神は、感謝と賛美に変えてくださるでしょう。

 

ジョン・バンヤンの「天路歴程」と言う本があります。クリスチャンと言われる主人公が「破滅の街」から脱出して迷いと戦いの中を通過して「天の都」に到達するまでの物語です。「虚栄の街」を通過しているときには、富や名声を求めました。しかしそこには幸せはありませんでした。「謙遜の谷」を通過した時、一人の羊飼いの少年の言葉に出会います。

「神を私の案内者とします。私は今自分の持つもので満足しています。どれほど多くても少なくても、そして主よ、私はなおも満足を切望します。あなたはそのようなものを救ってくださるからです」

彼はそこで神によって導かれ、与えられたもので満足し感謝する幸せな人を見つけたのです。そこには不平や不満がありませんでした。

 

今現在与えられている立場を感謝し、神に賛美を捧げ、日々坦々と仕えていくことができますように。それは私たちに与えられた一つの生き方であると思います。神の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。

小田 彰